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針 谷 實 先生(81歳) | |
在職期間:昭和34年(1959年) 4月〜平成12年(2003年)3月 担当科目:英語(中学・高校) クラブ顧問 :放送委員会 |
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朝のホームルームの時間になった。中学校1年C組の教室に入ってみて驚いた。教壇の横の床の上に、1メートル四方より大きな古い木の浅い箱と土と植物が運び込まれて何人もの生徒たちがその大きな箱庭に植物を植えているではないか。皆、喜々として庭造りの作業に一所懸命であった。植物には水までかけている。昭和35年の頃であった。 前任の棟居(むねすえ)先生の後任として採用され、見習いの一年が過ぎ、念願の担任になったばかりであった。42人程の生徒は皆小さくて、それはそれは可愛いかった。当時の写真を見ると会長さんの沼田くんや倉田くんがいるではないか。生徒の名前が次々と出てくる。 中1には4クラスあった。担任は生徒の入れ替えと共に毎年変わったので多くの生徒と接することができた。 中学校での授業は楽しかった。何しろ一斉に発声する時の声が大きい。思い出の多い教員生活だった。「高校生は中学生とはずいぶん違うぞ、一人一人が大人に近いぞ」と言われていた。身構えて高校へ移ったが、幸い中学校で教えていた生徒たちと一緒に高校へ移動したので何の違和感もなかった。内部中学から進んできた生徒より多くの他の中学校から進学してきた生徒と一緒にホームルームを造っていた。 高校では授業の外に転任する先生が担当していた役割を与えられた。クリスマスページェントとメサイヤ公演のステージ上についての世話役でやりがいのある仕事であった。クラブ活動では井上先生の協力を得て放送委員会を担当した。実際の機材操作は委員の生徒が行った。放送は毎日の大切な礼拝や、入学式等の失敗が許されない行事に関係していた。放送係は「普通に聞こえていて当り前、音が出なくなったら悪者になる」。長い造りのチャペルで、ある年の卒業式にそれが起こった。式が始まって間もなく、突然マイクの音がとぎれた。式場が「シン」となる。放送機の後ろの端子の接触不良と分かる。そこを押さえると「ワッ」と音が出る。その端子の部分とコードを一緒に指先で押さえて身動きをせず讃美歌の時だけ一寸休んで式の終わりまでそこを押さえていた。 長く続いてきた卒業式の形には貴重なものがあると思った。一歩一歩今迄踏み締めてきた道、これからも踏み締めて行こうと。 退職後はこれといったことはしていない。今は体調を整えることで一杯。年と共に、次々にやってくる病と闘っている。しかし今、生かされていることを感謝しつつ毎日を送っている。 |
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清 田 一 正 先生(66歳) |
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在職期間:昭和46年(1971年)4月〜平成21年(2012年)3月 担当科目:数学(高校) クラブ顧問 :理化学部、卓球部、ソフトボール部(男子・女子) |
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私は、退職してからも「関東ソフトボール協会」理事長や「神奈川県ソフトボール協会」、「横須賀ソフトボール協会」副会長として大会などの運営に携わり、多忙な日々を過ごしてきました。「関東ソフトボール協会」理事長を昨年退任し顧問となったのを機に、自分の時間を持つゆとりができ、今年から家庭菜園や鎌倉のお寺巡りを始めました。 |
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2014年 恩師近況へ | |
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