2020年3月2日

卒業生保護者の皆様

横須賀学院中学校・高等学校
校長  川名  稔
 
「第67回卒業式」が挙行されました
 
 記録的な暖冬のため、同窓会から寄贈された「旅立ちの桜」と名づけられた院長室前の河津桜は、卒業生たちの卒業を待ちかねて、もう1カ月も前から咲き始めています。
 保護者の皆様、ここまで見守り、お支え頂きまして、ありがとうございました。そして、お子様のご卒業、おめでとうございます。心からお慶びを申し上げます。ご両親にとって大切な、本当にかけがえのない宝物であるお子様の、最も多感で成長著しい大切な時期に、中には小学校からの12年間、横須賀学院に託して頂きました。心から御礼申し上げます。
 新型コロナウィルスの影響で、各学校では卒業式、謝恩会などを縮小、制限、中には中止としたところもあるようです。そのような状況下、本校では本日、大チャペルに於いて、「第67回卒業式」を卒業生と教職員のみで挙行させていただきました。保護者の皆さま、来賓として参列をお願いした方々には、本当に申し訳なく思っております。ただ、このような情勢の中で、皆様とお子様たちの安全面、健康管理を最優先に考慮した上での判断でした。どうぞご理解、ご容赦いただければ幸いです。
尚、式の様子は、今後DVDで皆様にお渡しする予定です。
 
 
高等学校67期 卒業式告辞
「前向きな人生を送ってください」

2020年3月2日(月)
中学校・高等学校 校長 川名 稔

 

 新型コロナウィルスの影響で、今回の卒業式は君たちと先生方のみの実施となりました。でも、みんなのご家族の方も、本日参列予定だった来賓の方々も、遠くで君たちを祝福し、見守ってくれているはずです。
 大学受験で出席できない人たちが何名かいましたが、今、高等学校67期生443名一人ひとりに卒業証書を授与しました。卒業おめでとう。君たちの門出を、心より祝福します。
 さて、今朝、君たちは今着ている横須賀学院の制服にどのような気持ちで袖を通し、今どんな思いでその席に座っているのでしょうか?オリエンテーションの日、初めて学院生としてその制服を着て、伊豆天城山荘に行ったあの日からはや3年、今、胸に去来するものは、どのようなものでしょうか?
 先週末に卒業記念礼拝を守りました。お話は、横須賀学院元理事長であり、県立保健福祉大学名誉学長の阿部志郎先生でした。半世紀以上に亘り、社会福祉の最前線を担われた方でもあります。とても94歳とは思えない矍鑠たるお姿で、明確で感動的なメッセージを頂きました。
 翌日の卒業修養会では、代表の人たちの素晴らしいメッセージ、そして想い出のスライド・ショーがありました。オリエンテーション・入学式に始まり、楽しそうな笑顔の写真がBGMに合わせて、次々と写し出されました。君たちの笑顔は、本当に周囲を明るくし、そして幸せにしてくれます。そのことを是非覚えておいてください。先生方による、パプリカも、とても愉快でした。
 毎年、作成される卒業文集にも、日々の礼拝のこと、授業のこと、楽しかった、行事、クラブ活動、友達と過ごした日々のこと等、数々の思い出が綴られていました。友人、親御さん、先生への感謝の気持ちを、多くの人たちが素直に表明していました。将来の夢、抱負を堂々と述べた人もいました。もちろん全てが喜びや楽しいものばかりではなく、悩み、苦しんだ日々もあったはずです。思っていたような高校生活ではなかった、と思っている人もいるでしょう。今、現在もまだ苦悩の中にいる人もいるかもしれません。
 でも、卒業はゴールではなく、新たなスタートの時です。「敬神・愛人」という建学の精神を忘れずに、与えられたタラントンを見出し、遺憾なく発揮してください。
 今、君たちが手にしている卒業証書。もう一度、しっかり握りしめてください。自分の努力は勿論ですが、それだけではなく、多くの人たちに支えられてきた証です。
 3年前、入学を許可されながら、様々な理由でこの場に臨めない人もいます。本来ならこの場にいたはずだった齋藤崇人(たかと)くん。3年前、選抜クラスに入学し、理系の国立大学進学を目指していました。ソフトテニス部員としても活躍していました。1年の時の8月下旬、体の変調を訴え検査を受けました。骨肉腫でした。その後、入退院を繰り返し、常に希望を捨てずに闘病生活を送りました。2年の文化祭では、松葉杖をつきながら、クラスの出し物である「お化け屋敷」の設営、装飾の陣頭指揮を執りました。「体験学習」にも、何が何でも沖縄へ行くと、最後まで治療に専念しました。しかし、間際になって体調が思わしくなく、やむなく断念しました。その後も病状は好転せず、2年終了後、余命6ヶ月を宣告されました。家でご家族と共に過ごしたい、という申し出があり、学院を去っていきました。そして、9ヶ月前の6月1日、容態が急変し、5日 ご家族の見守る中、静かに天に召されました。17歳4ヶ月という生涯でした。
 3ヶ月前の11月29日、お母さまが来校されました。5組の人たちが、卒業アルバムに崇人君の小さい時の写真を載せたい、ということを担任の高木先生に申し出、高木先生がお母さまに連絡をしたのがきっかけでした。しばらくの間、お母さまと話す時間を持たせてもらいました。闘病中にも、「この病気になったのがお母さんでなくて良かった。お母さんだったらきっと耐えられなかっただろうからね」。とお母さんを励ましていたそうです。病床でも、上半身をダンベルで鍛え、日に日に腕が上がらなくなると手首を鍛えていた、常にできないことを嘆くより、今できる最大限のことを全力で尽くす子だった、とお母さんは語っておられました。
お母さまから皆さんへ一言だけお伝えください、と頼まれました。「崇人に生きる力を与えてくれてありがとう」。「崇人のことを忘れずに思い出してくれていてありがとう」。お母様からの感謝の言葉です。
 今でも、文化祭の時にクラスの友達と撮った写真と横須賀学院の制服が崇人くんの部屋にそのまま飾られているそうです。「いつかカビが生えてしまうかもしれませんね」、と笑っておられました。
 どうか、そのような仲間がいたということをいつまで忘れないでください。
 改めて言います。卒業はゴールでなく、新たなスタートです。君たちは、誰にでも無限の可能性が与えられています。たった一度のかけがえのない人生、できないことを嘆くより、できる最大限のことを精一杯、全力でチャレンジする、そういう人生を歩んでください。
 君たちのこれからの活躍を心から願い、そして祈っています。卒業おめでとう!!