沿革

沿 革


終戦からの復興にわく日本。横須賀の地に青山学院が灯した
平和教育への思いを引き継いで、横須賀学院は誕生しました。

横須賀学院の設立は1950年(昭和25年)青山学院横須賀分校を継承することから始まりました。
米海軍横須賀基地司令官のデッカー大佐は、終戦直後の横須賀に真の平和と民主主義をもたらすために、キリスト教学校による教育改革が必要だと考えました。そして彼との親交が深かった従軍牧師リッカーの依頼を受けた青山学院が、この地に横須賀分校として「専門部機械科」と「土木建築科」さらに「第二高等部」を発足させるに至ったのです。
ところが、戦禍を被った渋谷キャンパスの復興に追われた青山学院は、この学校の維持が困難となり、横須賀からの撤退を余儀なくされました。そして地元の教会関係者の協力で、新たに「横須賀学院」として再スタートすることになったのです。


古 坂 嵓 城

青山学院第10代院長。青山学院女子専門学校長時代の1947年(昭和22年)2月に横須賀分校設立の責任者となり、同年6月専門部機械科と土木建築科を、翌年4月に第二高等部を設立。青山学院の院長職引退後、1961年(昭和36年)4月、横須賀学院第2代院長に就任した。「敬神 愛人」の基本精神を制定。プールの建設・食堂の設置など教育環境の整備に尽力した。


安 井 正 男

青山学院横須賀分校に設置された第二高等部の部長。財団法人横須賀学院設立時の理事。1950年(昭和25年)、横須賀学院としての再スタートに当たり、主事として勤務し、青山からの引き継ぎと新設学校の諸分野の整備・充実に腐心した。
篤き信仰心と理想に燃える、小・中・高の校長を兼務した横須賀学院初代院長の武部啓(日野原善輔の娘婿)のもと、日常の教育指導と学校運営の任にあたる。


ローランド・レイ・ハーカー

青山学院では、愛の使徒と称された宣教師。青山学院からの引き継ぎと横須賀学院の創設に奔走した。財団法人横須賀学院設立時の理事。当時新設された正門から校舎までのキャンパスを貫く未整備の泥道を見かねて、ただ一人で黙々と道普請に着手。この手作りの道路は、参加した生徒・保護者たちの協力を得て完成し、ハーカー・ロードと呼ばれた。これが、横須賀学院におけるワーク・キャンプの始まりとされる。